ナニコレ雀宮再発見

2012年

2月

01日

東京からジャスト100km。キリ番標識ゲット!

【ナニコレ雀宮NO.5】

「100kmポスト」雀宮1丁目、茂原町

 宇都宮市は、東京からちょうど100km地点にあたります。「100kmポスト」と呼ばれる標識を捜したところ、雀宮でいくつか発見することができました。

 まず、国道4号線の「100kmポスト」は、雀宮神社付近にありました。国道4号線は、東京の日本橋を起点に青森の県庁前を終点とした、743kmの日本一長い国道です。ここは、東京から100km、日光から十里(約40km)と区切りのいい場所であります。

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2012年

1月

06日

十九日の夜,賑やかに集まる女子会

十九夜塔
十九夜塔

【ナニコレ雀宮NO.4】

「十九夜塔」下反町町

下反町町の集会所の隣に,『十九夜』と彫られた塔(十九夜塔)があります。

 

江戸時代に十三夜,十五夜,十九夜,二十三夜などの特定の月齢の夜に仲間が集まり,月を拝む月待信仰というものが盛んに行われていました。

中でも,十九夜は特別で,女性だけで集まり美味しいご馳走を食べながら,子育ての話や旦那の話などおしゃべりをします。

月待信仰は,女性たちがリフレッシュをする集まりで,なにかと苦労の多い嫁たちに対して,たとえ一晩だけでも好きなものがおおっぴらに食べ好きなことも言わせてやりたいと願う先人のはからいでした。

 

下反町町では江戸時代から継承されて,現在まで続いています。

十九夜塔は,月待行事での供養の記念として,明治13年に地元の有志たちが建立した塔であります。

現在では,年1回,正月の19日あたりの日曜日を利用して十九夜講(今で言う女子会)を行うそうです。

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2011年

12月

21日

自動車展示場内を通過する日光街道

【ナニコレ雀宮NO.4】

「日光街道」雀宮2丁目

 徳川家康が日光東照宮に改葬された元和3(1617)年に街道・宿場が整備されたという日光街道。この日光街道は宇都宮までは奥州街道とも重なり,参勤交代をする奥道で,宇都宮からは4つの宿場を経て日光に到着します。元禄の昔,芭蕉が奥の細道の旅路に一部として辿った日光街道。雀宮宿は日光から約40km(十里)の地点で,十里木という地名もここからきており,日光道中の休憩所として大変に賑わいを見せていました。

 現在の街道の姿は,当時の面影を感じられず,自動車展示場の中に日光街道は通じています。当時で言うと,馬を売買する『馬市』というところでしょうか。お殿様のお気に召すお車もきっと見つかると思います。

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2011年

10月

01日

小学校から消える「二宮金次郎像」

雀宮中央小学校
雀宮中央小学校

【ナニコレ雀宮NO.3】

「雀宮中央小学校 二宮金次郎像」雀宮3丁目

二宮金次郎像といえば、本を読みながら薪(まき)を背負って歩いている姿でおなじみでが,最近,全国各地の小学校から消えています。

金次郎像が消えていくのは,「像のように薪を背負ったまま勉強したという事実があるのか証明できない」こと,「児童が像の真似をして歩きながら本を読むと交通安全上問題がある」ことから,1970年代以降,校舎の建て替え時などに徐々に撤去され,像の数が減少しているそうです。

しかしながら,江戸時代,諸藩の危機を救い立ち直らせた二宮金次郎(尊徳)の功績は,いまも多くの人々に語り継がれています。 雀宮地区を北から南に流れる新川は,江戸時代後期に水不足で苦しんでいた地区のために,田川の水を堰き止めて,彼が設計して新しく作った人工川なのです。

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2011年

9月

01日

太陽に捧げた鳥居 「陽光ありて」

【ナニコレ雀宮NO.2】

「雀宮地区市民センター 石像」新富町

雀宮地区市民センターの正面に,何か不思議な存在感を持つモニュメントがあります。

このモニュメントは,平成2年3月宇都宮市内ではじめて,出張所と学習センターの機能を併せ持つ地区市民センターが雀宮地域に完成した記念として, 宇都宮在住の彫刻家 栗原俊明氏によりつくられたものです。

”太陽に捧げた鳥居”を表し,石碑には「陽光(ひかり)ありて」と刻まれています。制作の意図は,「太陽そのものを主題として,その反射や影・隙間をからさしこむ光線等を表現しようとするもの」です。周囲の環境が光っている部分に写しこまれ,面白い効果を生むそうです。

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2011年

8月

01日

現存は日本で2箇所,レトロな街灯

【ナニコレ雀宮NO.1】「JR雀宮駅 街灯」雀宮町
新駅舎の構内に,レトロな街燈があります。
明治45年に鋳造され,当時は,線路をまたぐように設けられた,こ線橋の階段下の門柱として使用されていました。
駅の改良工事に伴い昭和59年に撤去されましたが,その後,乗降場の街灯として利用されていました。
鋳鉄製の柱に「鐵道院」の文字が入っているのが特徴で,
「合資会社高田商會」の銘があるのは,全国で雀宮駅と京浜東北線大森駅のみで,当時の技術を伝える貴重な柱です。
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