雀宮橋伝説

 雀宮地域を流れる田川には,中島橋,下反町橋(しもそりまちばし),田町与橋(たまちよばし),孫八橋(まごはちばし),野ゾ花橋(のぞはなばし)の雀宮を代表する橋があります。終戦後までは,いずれも木橋ばかりでありましたが,現在は,コンクリート等の半永久橋として架け換えられて,昔の面影はとどめていません。また, 北関東自動車道開通に伴い新たに二千年都橋(にせんねんみやこばし)が完成しました。

 川には歴史があるように,橋にも面白い伝説があって,橋名を見ただけで心ある人は ”あれっ” と立ち止まって橋名を見ることでしょう。

 

                                                  吉野益太郎 著

                                                  『今昔雀宮』より

 

野ゾ花橋(のぞはなばし)

 『のぞはな』って何だろう、こうした由来は聞いてみれば「なあんだ」と失望するものですが、皆、それぞれ理由を持っているもので面白いです。この橋は長島から下横田に通ずる市道で、昔は小さい道があり、橋も木橋で極く小さく、仮橋的なものでありました。
 橋名の『のぞはな』は地名から採ったもので、この地をのぞはなと呼び、昔は、この川原を利用して、地芝居を毎年行い、農休みの日が農民の憩いの日だった。村の人たちが舞台に立ったこともあり、役者を呼んでは歌舞伎など上演しました。この際、この台地から、芝居小屋の舞台の端(はな)が良く見える為、”のぞきっぱな”と言うようなことが『のぞはな』になった、と下横田の人達はいいます。 

 なお、昭和51年3月に道路の拡張に併せて、永久橋にし、現在に至ります。

田町与橋(たまちよばし)

 この橋は雀宮~東谷~東汗を経て真岡に通ずる旧道上に架けられている大切な橋でありました。洪水のたびに橋が流されると、水が引けるまで人馬の往来が途絶え、役場や農協に行くことができず不自由な生活を強いられてきました。
 橋が無くてはならない、ということで、県に申請書を出し陳情を重ねた結果、再び架け替えることが出来た。村民一同完成を祝い、永久にこの橋が流れないように念じました。
 橋名には人柱にかえて村全体の願いを封じこめようということで、村名と請け負った頭(かしら)をもらうということになり、この辺は御田・下横田など田の字がつく村が多いことから、まず”田”の字を選びました。そして反町と下横田を結ぶ橋として”町”の字が選ばれ、さらに橋大工の頭の名ということで”与”の字をあてて、これが『田町与』となり、その後は概ね平穏無事になったということです。

孫八橋(まごはちばし)

 『孫八橋』は旧田川の洪水から市民の生命・財産を護る為、河川改修を兼ねた失業対策事業の一環として完成した橋であます。橋名の由来はこの地名から得たものだといいますが、この土地には”孫八”という農民が住んでいたところであるとされています。

位置図

マーカーをクリックすると橋名が表示されます。